最初からこのバンドは大成功すると確信していた。
私、Nekoiはオペラ歌手を叔母に持ち、3歳の頃より芸大を目指すべく
ピアノ・聴音をはじめとする音感教育を叩き込まれた。
あくまでもクラシックでの情操教育にこだわる母親の目を盗んでは父親とともに
ボサ・ノヴァに傾倒しやがて坂本龍一、矢野顕子、バグルスをはじめとするテクノ
ポップに親しみ、クラシックとしてはストラビンスキー、ムソルグスキー等の
東欧諸国のアーティストを好んだ。
作詞においては寺山修司、萩原朔太郎、中原中也、スージー・スー、トーヤ・
ウィルコックス、阿久悠、浜崎あゆみの影響を受け、音階においてはスラブ系、
イオニア音階を採りいれた新しいロックを創ろうと目論んだ。
ただし、そんな私に決定的に欠落している才能があった。
それは、曲を構成するセンスである。
どんなに素晴らしい楽曲ができても、それに素晴らしい歌詞をのせても、
「あ?」
なんか全部「NHKみんなの歌」みたいになってしまうのだ。
こんなはずでは。
私の曲はもっと複雑でデリケートかつ時に狂気なまでに緻密な構成を
もっていなければいけないはずなのに。
私は独り、焦っていた。
そんなある日、私はucchiのバンドを見聴きする機会に恵まれた。
ucchiのバンド、ADAM-SITE。
そこには、私が求めていた展開すべてがあった。
というか、このバンドには、展開しかなかった。
曲はメロディを持たず、ucchiはフロントで、ギターを抱えてあぶらだこに
影響を受けたような歌詞をひたすら吼えていた。
そして時折オールド・スクールのようなエレクトリックギターをこれみよがしに
かき鳴らす。
70年代パンクの青さと、ポスト・パンクの狡猾さの同居。
私に足りないものをこの男はすべて持っている。
ライブがハネた宴会の席、酒のどさくさに紛れて編曲を頼み込むことに成功した
私は、タイを釣った子供のようにほくほくしていた。
このバンドは大成功する。
そんな確信を抱いて・・・・・・
明けて新年。
初ライブの直前直後から、現実という名の迷走飛行が始まった。
ステージでまったく動けない。思うように声が出ない。
趣味のボンテージっぽい衣装を身に着けてライブを始めたものの、基本的に
ステージに慣れていなかったため、最初の半年は絶望的な日々であった。
このあたりのエピソードはできれば封印したいくらいだし、細かく書いていると
欝になりそうなので、主だった事件のみ箇条書きにしていこうと思う。
*宅録でもしてろ事件
下北沢GARAGEに出たが、ブッキング担当の男に
「君たちライブ向けじゃないから自宅で録音でもしてなさいよ」
みたいなありがたいアドバイスを受けた。
*客消失事件
渋谷Giganticにて、当日になっても客らしい客はひとりも来ず、
スタッフで呼んだ友達がぼうぜんとしていた。
*天使をあきらめた事件
渋谷のGiganticにて、楽屋に天使の羽が置いてあったので、こっそり
身につけたところ、あまりにも似合わなかった。
*マイク消失事件
渋谷のgiganticにて、出囃子を大音響で鳴らしつつ、盛大に格好つけて
ステージに上がったところ、マイクが用意されていなかった。
*ほとんどキャバクラ事件
高円寺のライブハウスGEARに移り、少しづつ客が来てくれるようになった
ものの、勘違いされていたらしく、酔っ払って手をニギニギスリスリ
されたりした。
そうこうするうちにucchiがマジ切れして、ある秋に私に叫んだ。
「これからは俺の言うことを聞け。
これからは俺が仕切る」
「はい」 私は泣き崩れるしかなかった。
ucchiが続けた。「とりあえず次回は白塗りしよう。2人で白塗りしてライブだ」
「は」
そう言うや否や、ucchiは突然ベッドの下から白いドーランを出して自分の顔に
すごい勢いでべたべたと塗りたくりはじめた。
必死で制止しようとする私。しかしucchiは聞かず、あっという間に目の前に
山海塾のような白塗りのなんだかわからないものがいる。
こんどは黒いペンシルでガンガン眼の周りを黒く塗り始めた。
私はヤメテーヤメテと叫びながら、そちらのほうを見ないようにして
恐怖と戦っていた。
次のライブでは、外国人の葬式のような格好で白塗りしたucchiとゴスロリの
ようなコスチュームの私がステージにいた。
白塗りだけは怖いので自分が塗るのだけは勘弁してくれと頼み込んだ
結果のステージであった。
しかし、不思議なことに、白塗りが起爆剤となり、私はかなりステージで
動けるようになっていた。
隣では白塗りの幽霊のようなものがギターを弾いている。
絶対振り向いてはいけない。
そんなふうに必死になった結果なのかもしれない。
何度かのucchi白塗りステージをこなしたそのころ、Lovelessが
ライブに顔を出した。
Lovelessは、ucchiと何度か一緒のバンドをやっていた、パンクドラマーで
あった。
少年の頃に北村昌士のYBO2に在籍し、名のあるバンドに加わることが何で
あるか、汚い大人とは何かを知り、その後、高円寺で激動の時代を一日一箱の
ハイライトと共に生き、様々なパンクバンドを渡り歩いてきたツワモノである。
その彼がucchiに言った。
「そろそろドラマーが必要じゃないかな」
そしてPSYDOLLは三人体制になった。
これがPSYDOLLの呪われた誕生秘話。
次回から初の海外ライブ、カナダに。
気前のいい人は、何らかのボタンをぽちっとしてね。

にほんブログ村
私、Nekoiはオペラ歌手を叔母に持ち、3歳の頃より芸大を目指すべく
ピアノ・聴音をはじめとする音感教育を叩き込まれた。
あくまでもクラシックでの情操教育にこだわる母親の目を盗んでは父親とともに
ボサ・ノヴァに傾倒しやがて坂本龍一、矢野顕子、バグルスをはじめとするテクノ
ポップに親しみ、クラシックとしてはストラビンスキー、ムソルグスキー等の
東欧諸国のアーティストを好んだ。
作詞においては寺山修司、萩原朔太郎、中原中也、スージー・スー、トーヤ・
ウィルコックス、阿久悠、浜崎あゆみの影響を受け、音階においてはスラブ系、
イオニア音階を採りいれた新しいロックを創ろうと目論んだ。
ただし、そんな私に決定的に欠落している才能があった。
それは、曲を構成するセンスである。
どんなに素晴らしい楽曲ができても、それに素晴らしい歌詞をのせても、
「あ?」
なんか全部「NHKみんなの歌」みたいになってしまうのだ。
こんなはずでは。
私の曲はもっと複雑でデリケートかつ時に狂気なまでに緻密な構成を
もっていなければいけないはずなのに。
私は独り、焦っていた。
そんなある日、私はucchiのバンドを見聴きする機会に恵まれた。
ucchiのバンド、ADAM-SITE。
そこには、私が求めていた展開すべてがあった。
というか、このバンドには、展開しかなかった。
曲はメロディを持たず、ucchiはフロントで、ギターを抱えてあぶらだこに
影響を受けたような歌詞をひたすら吼えていた。
そして時折オールド・スクールのようなエレクトリックギターをこれみよがしに
かき鳴らす。
70年代パンクの青さと、ポスト・パンクの狡猾さの同居。
私に足りないものをこの男はすべて持っている。
ライブがハネた宴会の席、酒のどさくさに紛れて編曲を頼み込むことに成功した
私は、タイを釣った子供のようにほくほくしていた。
このバンドは大成功する。
そんな確信を抱いて・・・・・・
明けて新年。
初ライブの直前直後から、現実という名の迷走飛行が始まった。
ステージでまったく動けない。思うように声が出ない。
趣味のボンテージっぽい衣装を身に着けてライブを始めたものの、基本的に
ステージに慣れていなかったため、最初の半年は絶望的な日々であった。
このあたりのエピソードはできれば封印したいくらいだし、細かく書いていると
欝になりそうなので、主だった事件のみ箇条書きにしていこうと思う。
*宅録でもしてろ事件
下北沢GARAGEに出たが、ブッキング担当の男に
「君たちライブ向けじゃないから自宅で録音でもしてなさいよ」
みたいなありがたいアドバイスを受けた。
*客消失事件
渋谷Giganticにて、当日になっても客らしい客はひとりも来ず、
スタッフで呼んだ友達がぼうぜんとしていた。
*天使をあきらめた事件
渋谷のGiganticにて、楽屋に天使の羽が置いてあったので、こっそり
身につけたところ、あまりにも似合わなかった。
*マイク消失事件
渋谷のgiganticにて、出囃子を大音響で鳴らしつつ、盛大に格好つけて
ステージに上がったところ、マイクが用意されていなかった。
*ほとんどキャバクラ事件
高円寺のライブハウスGEARに移り、少しづつ客が来てくれるようになった
ものの、勘違いされていたらしく、酔っ払って手をニギニギスリスリ
されたりした。
そうこうするうちにucchiがマジ切れして、ある秋に私に叫んだ。
「これからは俺の言うことを聞け。
これからは俺が仕切る」
「はい」 私は泣き崩れるしかなかった。
ucchiが続けた。「とりあえず次回は白塗りしよう。2人で白塗りしてライブだ」
「は」
そう言うや否や、ucchiは突然ベッドの下から白いドーランを出して自分の顔に
すごい勢いでべたべたと塗りたくりはじめた。
必死で制止しようとする私。しかしucchiは聞かず、あっという間に目の前に
山海塾のような白塗りのなんだかわからないものがいる。
こんどは黒いペンシルでガンガン眼の周りを黒く塗り始めた。
私はヤメテーヤメテと叫びながら、そちらのほうを見ないようにして
恐怖と戦っていた。
次のライブでは、外国人の葬式のような格好で白塗りしたucchiとゴスロリの
ようなコスチュームの私がステージにいた。
白塗りだけは怖いので自分が塗るのだけは勘弁してくれと頼み込んだ
結果のステージであった。
しかし、不思議なことに、白塗りが起爆剤となり、私はかなりステージで
動けるようになっていた。
隣では白塗りの幽霊のようなものがギターを弾いている。
絶対振り向いてはいけない。
そんなふうに必死になった結果なのかもしれない。
何度かのucchi白塗りステージをこなしたそのころ、Lovelessが
ライブに顔を出した。
Lovelessは、ucchiと何度か一緒のバンドをやっていた、パンクドラマーで
あった。
少年の頃に北村昌士のYBO2に在籍し、名のあるバンドに加わることが何で
あるか、汚い大人とは何かを知り、その後、高円寺で激動の時代を一日一箱の
ハイライトと共に生き、様々なパンクバンドを渡り歩いてきたツワモノである。
その彼がucchiに言った。
「そろそろドラマーが必要じゃないかな」
そしてPSYDOLLは三人体制になった。
これがPSYDOLLの呪われた誕生秘話。
次回から初の海外ライブ、カナダに。
気前のいい人は、何らかのボタンをぽちっとしてね。
にほんブログ村



